自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その1 同窓会報第55号(2011年1月1日発行)

matsubara

「research mind後天説 」松原茂樹(自治医科大学産婦人科、東京2期)

 Research mind「不思議だなと感じて、それを解明しようとする心根」は先天的にそなわっているわけではない。具体的技法を会得し、経験を積むうちに、開花させていくものだ。
 医者6年目に大学院に入学した。5年目の夏、伊豆七島新島診療所勤務時に「大学院へ来る気があるなら来い」との電話が来た。それで入学した。「これこれの研究をしたい」という具体的計画はない。学年相応の臨床力はなく、1年目は手術に精一杯で研究は何もしなかった。玉田太朗教授は視野の広い方で時代先取りのテーマを下さった。「脳腸管ホルモンをやってもらう」。しかし、このテーマでの研究者はほとんどおらず「研究手法」がわからない。何をどのようにしたらいいのかわからない。つらい思い出がある。
 研究とは?実験とは?がわからない。基本を知るべきだ、というわけで、東京の丸善だったと思う、「高校生の自由研究」本のコーナーで立ち読みした。小学生向けも脇に並んでいる。「海辺の生物観察」「お父さんと見る昆虫日記」などと表紙に書いてある。はっと我に帰った。「高校生の自由研究」の中に、「医学部大学院での研究方策」が書いてあるわけがない。俺は馬鹿になってしまったのではないか。医者6年目も終わりかけ、仲間は地域で頑張っている。大学院に入学したのに、何もできない、していない。4歳1歳2人のこどもを抱え、わずかな蓄えも底をついた。ぼーとしながら山手線に乗った。
「何かをしたいのに何をしていいのかわからない」。これが、これほどつらいことだとは。これを体得するだけに丸1年間を使ってしまったわけだが、この経験が私の将来を切り開いた。1年間は無駄でなかった。
 1年目の終わり頃、「電顕組織化学」の掲示を偶然目にした。電顕組織化学との出会いである。2年目の4月から約2年弱、組織学教室の齋藤多久馬教授の下で学んだ。私の吸収速度は相当のものだった。4月1日には「モル」の計算方法がわからなかったのに、3ヶ月で電顕組織化学技法をほぼマスターし、同年10月、米国での国際組織化学会で発表出来た。この2年間は異常興奮状態だった。水を得た魚、砂が水を吸う。まさにそれだ。一旦方法論・具体的技法をマスターすれば、次々に所見が出、所見がでれば臨床にも応用できて、研究も臨床も進んでいった。
 電顕研究は消耗戦である。大学院2年目は、「朝から夕方まで休んだ日」は1年間に3日。しかし、「つらい」「苦しい」とは感じず、研究ができるうれしさだけを感じた。「何かをしたいのに何をしたらいいのかわからない」状態に比べれば、休日がないことなど問題外である。2004年まで電顕を見続け、電顕関連英文原著を40編以上書き、英語圏教科書に引用された。新規電顕染色法を独力で開発した。視力が悪くなり、また臨床研究にシフトしたこともあって、電顕研究は今はしていない。が、19年間の本格的電顕研究が、研究・論文力を授けてくれた。
 あの時「電顕組織化学」ではなくて「臨床疫学」とか「遺伝子組み換え」が掲示されていたなら?多分、「疫学」でも「遺伝子学」でも、「電顕組織化学」と同じようにのめり込んだだろう。「電顕」だけが私にベストフィットで「疫学」はだめ、「遺伝子」もだめ、などということはなかったはずだ。
 「自分にベストフィットのものがない」という人がいる。それは違う。はじめからベストフィットする研究がそこにあるわけではない。Research mindという「心根」が始めから天然現象で備わっている人もいない。
 飛び込むべきだ。まず具体的手法を学んでみる。無理に実験などせずとも良い。症例報告でも、Case seriesでも、経験を無駄にせずに書いてみる。それらの積み重ねの中で、research mindが後天的に生まれ、やがて大きく羽ばたく。CRSTもそのお手伝いをしてみたい。


戻る 次へ